講談社文芸文庫

24人の読み巧者が選ぶ 講談社文芸文庫 私の一冊

菊地信義

日日の麺麭/風貌 小山清作品集

日日の麺麭/風貌 小山清作品集

著:小山 清

発行年月日:2014/07/11

五〇篇に満たない美しい短篇を遺し不遇の生涯を閉じた作家の希少な作品集。太宰治、井伏鱒二との交流を綴る随筆を併録。

日日の麺麭/風貌 小山清作品集

著:小山 清

句読点のあじ

 文芸作品を読む楽しみは、主題や作者の情意にかかわらず、一文の一語や句読点へ迷い込み、想像を巡らすことにある。表題作の主は屋台のおでん屋、末吉四十五歳。女房に先立たれ、三つの娘おしづと四畳半一間に暮らす。末吉の日日の糧、おしづとの間合いが楽しい。好きな一文は、おしづを寝かしつける末吉の目が棚の麦藁帽子に止まる件。「お目めをつぶってごらん。ほら、大きい象さんが見えるよ。」添寝する末吉の目差に帽子の鍔は見えぬ、頂が象に見えた。「お目めをつぶってごらん。」は、子供相手の手品の呪文、ちちんぷいぷい。象が消えぬよう己に掛けた呪文でもある。で、「ほら、」の読点。明朝体の読点は左上の起筆から右下への筆跡をとどめてある。一画の右上に入る読点の余白が左の行間に溢れ、読者の目を迷わす。おしづの目差を棚へ導く末吉の指先が余白に浮かぶ。末吉の日日に力をもたらすのは、保育園の送り迎えで引くおしづの手の感触、銭湯の湯へ抱き入れる静もった肌の触感。麦藁帽子の前の件は、おしづの腹や背の疣で医者へ連れて行く。気付いたのは湯の中。見つめた疣と帽子の頂が、棚の上で一つになった、象の幻。鉤括弧の隙間から、おしづの唄うぞうさんの一語が聴こえた。見つめた句点がおしづの小さなお口に見える。


菊地信義 Kikuchi Nobuyoshi
装幀家。講談社文芸文庫の装幀を創刊時から手がける。装幀の業績で藤村記念歴程賞、講談社出版文化賞受賞。著書『装幀の余白から』、装幀集『菊地信義の装幀』など。

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