宝石の鍵
迷宮がそのまま結晶化したような言葉の宝石がある。俳句という世界最短詩型の、その謎めいた美しさに惹かれながら、けれども自分一人ではとてもその中に踏み込むことができなかった。乱反射する宝石の周りを、ただくるくる回っているだけだ。なにしろ、本物と偽物の区別さえも覚束ないのだ。
そんな私は『百句燦燦』に出逢えて幸運だった。塚本邦雄は戦後最大の歌人にして天才アンソロジスト。最高の宝石鑑定家にして迷宮案内人である。本書には本物中の本物だけが百句集められ、その魅力と怖ろしさが丁寧に語られている。一句ごとに宝石の迷宮に入るための鍵を手渡してくれるのだ。
みどり子の頰突く五⺼の波止場にて 西東三鬼
例えば、この句について。魅力の鍵は「突く」の二文字にあると指摘されている。もしも、これが「撫づ」や「吸ふ」だったらどうか。五七五の内部に現れるのは、明るい日差しの中で赤ん坊を可愛がる平凡な風景に過ぎない。その中を歩む限り、読者は道に迷うことなどありえない。そこには謎もときめきもない。だが、「五⺼の波止場のみどり子なる後期印象派好みの陽光燦爛たる自然は、一滴の毒のしたたりのためにたちまち色を喪ひ、歪んだ遠近法で縮められ引伸ばされ、ダリ寫しの異常な人工の失樂園と化する」。そう、「突く」こそが平凡な世界を迷宮に変える「一滴の毒」なのだ。
洗ひ髮身におぼえなき光ばかり 八田木枯
抽斗の國旗しづかにはためける 神生彩史
向日葵の蘂を見るとき海消えし 芝 不器男
全ての言葉の宝石は、その煌めきの中に「一滴の毒」を含んでいる。そんな迷宮の秘密を、私は本書から教えられた。
ほととぎす迷宮の扉の開けつぱなし 塚本邦雄
穂村 弘 Homura Hiroshi
歌人。歌集『シンジケート』でデビュー。短歌評論『短歌の友人』で伊藤整文学賞、エッセイ『鳥肌が』で講談社エッセイ賞受賞。