講談社文芸文庫

24人の読み巧者が選ぶ 講談社文芸文庫 私の一冊

佐藤優

ああ玉杯に花うけて 少年倶楽部名作選

ああ玉杯に花うけて 少年倶楽部名作選

著:佐藤 紅緑

発行年月日:2014/04/11

旧制中学を舞台に、友情やいじめ、貧困、暴力、師弟愛等、現代に通じる問題を真摯に描き時代を超えて訴えかける、青春文学の金字塔。

ああ玉杯に花うけて

著:佐藤 紅緑

近未来の日本社会か

 『ああ玉杯に花うけて』は、旧制第一高等学校(東京大学教養学部の前身)でよく歌われていた寮歌の冒頭箇所だ。昭和初め(1920年代後半)の埼玉県浦和町(現さいたま市)を舞台に、没落して貧困にあえぐ母子家庭の青木千三が、努力に努力を重ねて、一高に合格するというサクセスストーリーを軸に、さまざまな人間模様が描かれる。小学校時代、成績がトップクラスだった千三は、家に経済力があったならば、浦和中学(埼玉県立浦和高校の前身)で学んでいるはずだった。しかし、それがかなわずに、現在は伯父の豆腐屋で、毎朝、行商をしながら、かろうじて生計を立てている。浦和中学の生徒には、貧困にあえぐ千三を馬鹿にし、遊び半分で暴行を加える輩もいる。そのような中で、小学校の同級生だった柳光一だけは、千三の人格を認め、変わらぬ友情を示す。光一は、裕福な父と相談し、千三の学費を負担する態勢を整える。
 〈「お志は感謝します。だが柳さん」
  千三はふたたび沈黙した。肩をゆする大きなため息がいくども起こった。
  「わがままのようだけれどもぼくはお世話になることはできません」
  「どうして?」
  「ぼくはねえ柳さん、ぼくは独力でやりとおしたいんです、人の世話になって成功するのはだれでもできます、ぼくはひとりで……ひとりでやって失敗したところがだれにも迷惑をかけません、ぼくはひとりでやりたいのです」〉(61~62頁)
 他人の支援は受けず、自助努力のみが成功の秘訣であるというメッセージが本書の随所から伝わってくる。帝大を卒業し、官僚になったにもかかわらず、退官し、浦和で私塾を運営し、貧困層の子どもに勉強を教える黙々先生の〈力はすべて腹からでるものだ、西洋人の力は小手先からでる、東洋人の力は腹からでる、日露戦争に勝つゆえんだ/(中略)学問も腹だ、人生に処する道も腹だ〉(188頁)という極端な精神主義に忠実に従い、千三は成功する。社会的格差が進行すると、精神主義だけが頼みの綱になるのだろう。近未来にこの小説に描かれたような社会が日本に再出現する可能性を恐れる。

佐藤 優

元外交官、作家。主な著書に『国家の罠』『自壊する帝国』『獄中記』『私のマルクス』『宗教改革の物語』『外務省犯罪黒書』『大世界史』(共著)など。

ああ玉杯に花うけて 少年倶楽部名作選

佐藤紅緑  ●定価:本体1600円(税別)

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