サグラダ・ファミリア寺院のような形而上小説
講談社文芸文庫 私の一冊 15
島田雅彦
この本をはじめて手に取ったのは私が高校二年生くらいの頃で、ちょうど第五章までを収めた『定本死霊』が出版された時期だった。あの箱入りの不吉な黒い本は小説の舞台となる「薄暗い」屋敷にも似て、中に入ると、奇天烈な人物たちが長広舌を奮っている。後年、ロシア語学科の学生となる私はドストエフスキーの長編群を読み通す基礎体力をこの『死霊』を通じて養った。「無限」、「虚体」、「自同律の不快」といった命題に取り組む登場人物たちは延々と独白と対話を重ねる。五日間の出来事として構想された形而上小説は作者の死によって三日分第九章までで未完のまま断筆となった。ほとんどサグラダ・ファミリア寺院みたいだが、このように自意識の特異点にひたすら向かおうとする思考の運動は時間を超越するほかない。そもそも時間というのは幻想だという物理学者の説もあるし、時間は人が狂わずに済むように神によって与えられた規律に過ぎないという宗教的見地もある。肉体という物質性を持った個々の人間は寿命という時間に縛られるが、いざ意識を書物やメモリーカードのようなものにトランスファーすれば、聖書に書かれたイエス・キリストのようにほぼ不滅になり、時間の制約から解き放たれる。『死霊』も三輪兄弟、首猛夫ら何人かの埴谷の分身たちの意識を収めたタイムカプセルみたいなものなのだ。
五十年を費やして書き継がれたせいか、前半は躍動感にあふれ、後半は停滞感、閉塞感が強まる印象を受けるが、生前、そのことを訊ねると、埴谷さんは三章までは登場人物をキートンの映画をイメージしながら、動かしていたと打ち明けてくれた。なるほど前半のスラップスティック調はキートン由来かと納得した覚えがある。その躁病的運動性をもっともよく体現する首猛夫に私はすっかり魅了され、デビューするまでの習作時代のペンネームを首猛彦としていたくらいで、私自身が『死霊』由来なのである。
島田雅彦
作家。『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞、『彼岸先生』で泉鏡花文学賞、『退廃姉妹』で伊藤整文学賞、『虚人の星』で毎日出版文化賞を受賞。
『死霊』ⅠⅡⅢ
わが国初の形而上小説。全宇宙における〈存在〉の秘密を生涯をかけて追究し、精神の〈無限大〉をつきつめ、文学の大飛翔をはかった未完の傑作。日本文学大賞受賞作。
埴谷雄高 ●定価:本体各1400円(税別)