励まされる翻訳
一九七五年、藤本和子訳のブローティガン『アメリカの鱒釣り』が晶文社から刊行されたときはまだ学生で、自分に翻訳ができるなんて思ってもいなかったから、その新鮮な訳にただ快感を覚えるばかりだった。が、千石英世訳、メルヴィル『白鯨』が二〇〇〇年に文芸文庫から出たときは自分も翻訳をするようになっていたので、その訳文を読み進めながら、快感はもちろん、そうかこうやればいいのか、なるほどこういうやり方もあるのか、等々、そのしなやかな訳しぶりに多くを教えられ、励まされ、元気づけられた。
まず、目次を見ただけでも、そのしなやかさは明らかである。
目次
鯨という語の語源 一九
鯨という語を含む名文抄 二二
1 ぼんやりと見えてくるもの 五七……
――はじめの二行、原文ではそれぞれ“Etymology” “Extracts” の一語のみだし、第一章は“Loomings”のみ。それを読者の方に無理なく近づける的確な工夫。いったん誰かがやってしまえば「コロンブスの卵」だが、コロンブスが立たせるまで(まあ、僕はあれはちょっと乱暴じゃないかと思うんですが……)ゆで卵は長年立たぬものであり続けたのだ。
もちろん、自分には逆立ちしてもできないと思うような訳文が千石訳『白鯨』にはゴマンとある。「こうやればいい」とわかっても真似はできないわけだが、とにかくそれをできる人がいると知るのは嬉しいものである。「さて、かくいうおれに関していえば、このおれのなかに、万に一つの可能性で、いまだ未発見の美質が発見されるなどということがあるならば、また、あの狭いけれども深い沈黙の世界(割り注 文学の世界)において、おれが野心を燃やすいわれなどないのだけれども、ひょっとしていつの日か現実に何らかの名声を得ることになるならば、また、一般に、せずに見送るよりは、ともかくもした方がよかったとみなされることに対しては、それが何であれ、意志的に取り組むような人に今後おれがなるならば、また、死後、おれの遺産管財人が、というよりも正確には、借金取りが、私が篋底に何らかの意味で貴重な遺稿を発見するなどということがあるならば、そのときの我が名誉と栄光はすべて捕鯨に負うものであることをおれはいまここに予め記すものである。捕鯨船こそは、おれのイェール大学であり、おれのハーヴァード大学であったのだ」(千石訳『白鯨』24章より)
少し前に、学生と『白鯨』読書会をやって、いくつかの訳を参照したが、やはり千石訳が一番だと思った。
白鯨 モービィ・ディック 上・下
捕鯨船の船長エイハブの白鯨との死闘、その唯一の生き証人イシュメールの魅力的な語り口。世界文学の傑作を朗唱にふさわしい平明な訳文で贈る、決定版。
ハーマン・メルヴィル 千石英世訳 ●定価:本体各2100円(税別)
柴田元幸
米文学者、翻訳家。P・オースター、S・ミルハウザー他、米文学翻訳の第一人者。エッセイ集に『生半可な学者』、村上春樹との共著に『翻訳夜話』など。