講談社文芸文庫

24人の読み巧者が選ぶ 講談社文芸文庫 私の一冊

中村文則

万延元年のフットボ-ル

万延元年のフットボ-ル

著:大江健三郎,

解説:加藤典洋

発行年月日:1988/04/04

神話の森に起る暴動。幕末から現代につなぐ民衆の心を形象化し、
戦後世代の切実な体験と希求を結実させた画期的長編。谷崎賞受賞。

万延元年のフットボール

著:大江健三郎,

解説:加藤典洋

僕の人生にとって大切な本

 大学生の頃、大江健三郎さんの小説に出会い、取り憑かれたように読んだ。でもどうしても本屋で見つけられない作品があった。『万延元年のフットボール』である。
 大江さんの傑作の一つとして名高いのに、どの本屋にもおいてない(とその時は思った)。当時はインターネットもなく、書店員さんに聞けばよかったのだが、なぜか自力で探す癖が僕にはあり、調べる手段は「本屋で棚を見て回る」しかなかった。
 「有名な本なのに」そう思いながら、本屋を後にする日々が続く。「あんなどうでもいいベストセラーばかり並べて『万延元年のフットボール』を置かないなんて。この本屋はレベルが低い」とまで思った。だが間違っていた。僕の見て回っていた本屋には、実は大抵この本はあったのだ。
 ある日、どうしても我慢できず、注文しようと思い書店員さんに聞いた。すぐさま奥の棚に連れていかれる。初めて見る文庫の棚。「こんな場所に?」驚きながら見る。講談社文芸文庫、とある。
 それらの文庫は、どれも高かった。僕は貧乏学生だったので「なんてこった」と思ったが、ラインナップは、本好きなら涎が出そうなものばかり。ブツブツ文句を思い浮かべながらも、念願の『万延元年のフットボール』を買って帰る。そしてページを開き、すぐにさっきまでの文句の全てを忘れた。
 場の使い方、出来事の反復の使い方、人間の内面への、凄まじいまでの洞察と迫力。深夜、最後のページを読み終えそっと本を置く。名作とはこういうものなのだ、と思った。
 その後作家になり、三十二歳のとき大江賞を頂いたのだが、ちょうどその時の僕と同じ年齢で、大江さんがこの本を刊行していたことを知り愕然とする。三十二歳で、あんな凄い作品を……?
 その時に打ちのめされた感覚も含め、僕の人生にとって大切な本である。

万延元年のフットボール

神話の森に起る暴動。幕末から現代につなぐ民衆の心を形象化し、
戦後世代の切実な体験と希求を結実させた画期的長編。谷崎賞受賞。

大江健三郎 ●定価:本体1650円(税別)

中村文則

小説家。『遮光』で野間文芸新人賞、『土の中の子供』で芥川賞、『掏摸』で大江健三郎賞、『私の消滅』でドゥマゴ文学賞受賞。海外での評価も高い。

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